パトリシアは、昨日の暴れっぷりがウソのような陽気で、わたしの手を取り、
「ようこそ、伯爵様、また会えて、とってもうれしいわ!」
すると、アイアンホースはパトリシアの肩をポンとたたき(しかし、その瞬間、パトリシアは顔をしかめた)、
「パトリシア、しばらくの間、伯爵様と話をしているがいい。今日はとてもすばらしい日だからね。そうだ、今日を記念日にしよう。早速、その準備をしなければ! おい、ジンク、ちょっと来い!!」
そして、ジンクを伴って、(わたしが乗ってきた)馬車に乗り、どこか(市庁舎だろうか?)へ行ってしまった。アイアンホースはまるで風のように、いわゆる「突っ込み」を入れるヒマさえないくらい、素早かった。
二人の姿が見えなくなると、パトリシアは、「ふぅー」と口から息を吐き出し、
「あの人の言うとおりね、単純バカは扱いやすいわ」
「単純バカって?」
「そうよ。あのブタ、ウザイだけの脂肪の固まりよ。このところは、気味悪さにさらに磨きがかかってきたわ」
散々な言われようだけど、「ウザイ」とか「脂肪の固まり」がアイアンホースを指すことは明らか。
「ねえ、伯爵様、わたしの部屋に来ない?」
パトリシアは、わたしの手を引き、こちらの都合などお構いなしに、半ば強制的に連行していくような形で、自分の部屋に連れ込んだ。部屋は広々として(30畳以上あるだろうか)、その中に、華美な装飾を施された椅子やテーブルやその他諸々の生活用品の他、いかにも「女の子」らしく、ぬいぐるみやおもちゃなどの小物がひしめき合っていた。
わたしは部屋の中を見回しながら、プチドラをテーブルの上に座らせ、
「昨日はお父様とすごいことになってたようだけど、今日は一転して…… どういうことか、教えてくれない?」
「別に、どうということはないわ。少しばかり優しくてやったら、勝手に浮かれて舞い上がったのよ。ブタのツラを拝まされるのも今日までと思えば、多少のことはガマンよ」
「えっ、『今日まで』って?」
「あら…… でも、なんでもないわ。気にしないで。伯爵様には関係のない話だから」
そのように言われると、何かとても重要な話のように聞こえてしまう。詳細を尋ねようとしても、パトリシアは「なんでもない」とか「伯爵様には関係ない」とか繰り返すばかりだった。気になるけど、わたしに話す気は毛頭なさそうだし、しつこくきいても嫌がられるだけだろう。この程度で止めにしよう。
部屋でパトリシアと取り留めのない話をしていると、やがて、トントコトンと(独特のリズムを付けて)ドアをノックする音が聞こえた。
すると、パトリシアは「チッ」と舌打ちし、
「また来やがったのね、あのブタ」
トントコトンがアイアンホース独特の調子なのだろう。思いのほか早く、用事を済ませて戻ってきたようだ。
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ドアが開き、その隙間から、まさにブタ、アイアンホースが顔を出した。
「パトリシアよ、今戻ったぞ。一人で寂しく、いや、伯爵様がいらっしゃるのだったな。これは失礼」
「お父様、お帰りなさい。うれしいわ。わたしのために、急いで戻ってきてくれたのね」
パトリシアは、先程まで「ブタ」とか「脂肪の固まり」とか罵倒していたのがウソのような変わりよう。アイアンホースは、ブヨブヨとゴム風船のような体でパトリシアを抱きしめた(なお、彼女はわたしに背中を向けていたので、どんな顔をしているのかは分からない)。
アイアンホースは、何度も頬ずり(!)してからパトリシアを放し、
「伯爵様、せっかくですから、我々と午餐でも楽しんでいきませんか。精一杯、おもてなしいたしますよ」
選挙前のこの大変な時期に、そんな、のんびりと構えている余裕はないだろう。でも、ブライアンの所には朝から出かけたから、今は丁度お昼時。タダ飯を食べさせてもらえるなら、断る理由はない。
「ありがとう、いただくわ」
「そうですか、それは、私どもにとっても、ありがたき幸せ。さあ、さあ、伯爵様、どうぞ、こちらへ」
案内された部屋には、無意味に長いテーブルや、装飾過剰の高価そうな椅子が3つ置かれていた。以前、パトリシアとふたりで食事したところだ。テーブルの上には、用意がいいことに、既に3人分の前菜が用意されている。
アイアンホースは真っ先に席に着くと、
「さあ、伯爵様、ご遠慮なさらず、どうぞ、お上がり下さい」
そう言い終わる前に、アイアンホースは既に前菜を平らげていた。パトリシアは、行儀の悪さを見かねてか、アイアンホースに冷ややかな視線を投げかけているが、彼自身は食事に集中しているせいか、まったく気がついていないようだ。
アイアンホースは、よほど気分がよかったのだろう、山と盛られた料理を次々と平らげ、自分一人だけで一方的に喋りまくった。自分がいかにスゴイ(偉大な市長)かみたいな、食事しながらでなければ居眠りしてしまいそうな退屈な内容のほか、「パトリシアとの仲直りを記念して、この日をバイソン市の休日『和解の日』にするよう、大急ぎで指示を出してきた」という職権濫用の自白まで。
でも、本来は、こんな話ではなく、真剣に選挙対策の議論をしなければならないはずだ。当の本人がこれでは、「いかに温厚なわたしでも……」と、そう思っていると、隣に座っていたパトリシアが、体をわなわなと震わせ、突然、手のひらでテーブルをドンと叩いた。
アイアンホースはギョッとして立ち上がり、心配そうな表情でパトリシアを見つめ、
「ああ、パトリシアよ、一体、どうしたのだ?」
「いえ、なんともないわ。ごめんなさい」
パトリシアはニッコリと、すぐに笑顔を作って言った。でも、その瞬間の彼女の顔面は引きつり、この先、なんだか、タダでは済まないような予感……
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今日のパトリシアは、おかしかった(おかしいのはいつものことだけど、さらに輪をかけて)。表面上は笑顔を作っているが、机の下で拳を握りしめてプルプルと震わせていたり、足を小刻みに上下にさせたり(これは、要するに貧乏ゆすり)。
でも、アイアンホースはそのことに気付かず、一人で気持ちよさそうに無意味な長広舌をぶっている。
「パトリシアとも、こうして仲直りできたわけで、この選挙に勝てば、そろそろ後継者の選定にもかからねばと考えているわけでございまして……」
わたしは、思わず、唖然。この選挙では当選が危ぶまれていたのではなかったか。もしかすると、パトリシアにボコられた時に頭を打ちつけ、その打ちどころが悪かったのかもしれない。
こんなふうに呆れかえっていると、パトリシアは、またもや(しかも今度は両手で)テーブルをドンと叩いて立ち上がった。
アイアンホースは、一瞬ビクッとして、座ったままパトリシアを見上げ、
「パトリシアよ、どうしたのだい? さっきから…… 気分でも優れないのかい?」
「なんでも、ないわ……」
パトリシアは怒りを押し殺すように、再び椅子に腰掛けた。
時間がたつにつれ、パトリシアの表情は、徐々に殺伐としたものとなっていった。落ち着きなく周囲をキョロキョロと見回すしぐさも見せるようになった。何か別のことで頭が一杯なのか、料理にはあまり手をつけていない。でも、アイアンホースは相変わらず空気が読めないらしく、無意味な話を続けていた。
やがて、ついに忍耐も限界に達したのか、パトリシアは、テーブルに置いてあったナイフをつかみ、
「もう! いい加減にしなさいよ、このブタ!!」
と、アイアンホースに投げつけた。ナイフは彼の頭の上をかすめるように通過し、グサリと彼の背後の壁に突き刺さる。
アイアンホースは脅える目で、
「あ、あの……、パトリシア…… 一体、何を……」
「だから! ウザイって!! 言ってるだろ!!!」
パトリシアは椅子をつかんで投げつけた。アイアンホースは「ひぃー」と悲鳴を上げ、使用人を呼ぶ。パトリシアは、アイアンホースやわたしには構わず、ドスドスと大股に歩いて部屋を出ようとしたが、入り口のところで、ゾロゾロとやって来た使用人に阻まれて、部屋の中に押し戻されてしまった。
「放しなさいよ! こんなバカなことにつきあってるヒマはないのよ!!」
パトリシアは使用人を相手に、「ちぎっては投げ、ちぎっては投げ」の武勇伝。パトリシアを押さえようとしたアイアンホースは、プロレスさながらにフォークを額に突き立てられ、顔面血まみれにされてしまった。
わたしはプチドラと無言で顔を見合わせ、「ふぅー」と、ため息。仕方がないから、今日のところはこれで引き揚げよう。わたしはプチドラを抱き上げ、正面玄関に向かった。すると、そこには、いつ用意してくれたのか、馬車が1台停車していた。
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もう一度「ふぅー」とため息を漏らしながら、プチドラを抱いて席に腰掛けると、馬車は静かに動き出した。パトリシアに振り回され選挙対策に手が回らないという状況では、アイアンホースの敗北は濃厚だろう。わたしに直接の損害はないにせよ、逸失利益や機会利益を計算してみると、それなりの額に上りそうだ。
馬車は、市長公邸の灰色の壁の前を過ぎ、清潔な通りをゆっくりと進んでいく。いつもと同じような風景に、同じような建物が並んでいる。でも、なんだかちょっと、違和感があるような……
しばらく進んだところで、プチドラがピョンとわたしの肩に飛び乗り、いつもよりもさらに小さな声で、
「マスター、なんだか少しおかしいよ」
「『おかしい』って、どこが?」
プチドラは、一瞬、大きくと口を開け、
「気がつかないの? この辺りには、今まで来たことがないんだけど」
なるほど、言われてみれば、あまり見覚えのない光景のような「気」もする。ただ、方向音痴のせいか、「具体的にどこがどう違うのか説明せよ」と言われると困るけど。
それに、「おかしい」といえば、この御者もそうだ。わたしが乗り込むと、行き先も聞かず、いきなり馬車を出した。
「もしかすると、この御者はボクたちを誘拐する気かも……」
「そうね。でも、その時……いざという時には、お願いするわ。大抵のことは、大丈夫よね」
プチドラは「任せて」というふうに、わたしの肩の上に立ち上がり、小さな手で小さな胸をたたいたが、その時、馬車が少し速度を上げたため、プチドラはバランスを崩し、落っこちそうになった。本当に大丈夫かね……
馬車は速度を上げながら、人があまりいない通りを疾走していく。
「ねえ、もう少しスピードを落としなさいよ。いろいろな意味で危ないと思うけど」
しかし、御者は前を向いたまま、馬に鞭を当て、
「心配いりません。もうしばらくすれば着きますから、それまで、どうか、ご辛抱を」
御者の目的は分からないが、わたしをどこかへ連れて行こうとしているのは確か。だとすると、この御者も本当の御者ではなく、誘拐団か強盗団の一味かもしれない。今この場でやっつけるのは簡単だけど、それではなんだか味気ない。何々団でも構わないが、そのリーダーに会ってみたい気もしないではない。
しばらくすると、馬車は徐々にスピードを緩めていった。そして、通りに面した門をくぐり、大きくて白っぽい建物の前で停まった。御者は馬車のドアを開け、
「着きました。さあ、降りてください。パークさんが待ってますよ」
パーク? なんのことだかよく分からないが、とりあえず行ってみれば分かるだろう。御者に案内され、その建物の中に入ってみると、そこには、白い衣服の上に白いマントをなびかせ、白い羽根帽子に白いアイマスクという、いつもの「白い羽根帽子」が一列に整列していた。
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わたしを見た途端、驚いたのか感動したのか知らないが、白い羽根帽子の連中はどよめいた。列の真ん中にいたリーダーと思しき男は、わたしを連れてきた御者を呼び寄せ、大声で「バカヤロウー」と怒鳴る。何か手違いがあったのだろう。白い羽根帽子たちは、輪になってヒソヒソと話を始めた。一体、何を話しているのやら。
やがて、話の輪が解け、白い羽根帽子が二人、スタスタと、わたしに向かって歩き出した。白いアイマスクのせいで表情は読み取れないが、友好的な感じはしない。
わたしは胸の高さまでプチドラを持ち上げ、
「頼むわ。とりあえず、連中の動きを封じましょう」
プチドラは小さくうなずき、金縛りの呪文だろう、モゴモゴと口を動かした。すると、白い羽根帽子たちは、全員ピタリと動きを止め、歩いてきた2人は慣性の法則に従って前のめりに倒れた。
「正体を見せてもらおうかしら」
わたしは、(「バカヤロー」と大声を出した)リーダーと思しき男のところに赴き、多少背伸びしながら、白い羽根帽子と白いアイマスクをはぎ取った。
すると、その下から出てきた素顔は……
「あら、あなたは……、でも、どちらかと言えば、やっぱりかしら?」
その正体は、どこから見ても平凡な秘書、サイモン・パークだった。パークは目を大きく見開き、唇をプルプルと震わせている。わたしのことをどの程度知ってるのか知らないが、いきなり魔法をかけられて、かなりビビっている様子。
「え~っと、なんだかよく分からないけど、とりあえず、説明してくれる? 断ったらどうなるか、分かるわね」
すると、パークは(可能な範囲で)何度か首を上下に動かし(何度も言うようだけど、金縛りの効力をあまり厳密に考えないように)、おののきながら話を始めた。
彼の話によれば、結論的には、わたしがここにいるのは人違いで、本来ならパトリシアがいなければならないとのこと。パークはパトリシアと「ムフフの仲」、以前から市長公邸に何度も忍び込んで密談を重ね、彼女を公邸から連れ出す約束をしていた(ただし、これは選挙とは無関係で、純粋に「愛ゆえに」らしい)。計画では、アイアンホースが仕事中で公邸にいない間に、こっそりと市庁舎に馬車を出し、パトリシアを乗せてくるはずだった。
しかし、アイアンホースが休暇を取って公邸にいたのがケチのつき始めで、実行を延期すればよかったものを、パトリシアが強引に「もう我慢できない、この日でなければダメ」と主張したことから、歯車が狂い始めた。その後の展開は、わたしが公邸で見たとおりで、パトリシアがいつも以上に荒れていたのは、なんとしても(計画を覚られずに)公邸から抜け出さなければならなかったから。
さらに、致命的なのは、迎えにきた御者がパトリシアの顔を知らなかったこと。パーク自ら迎えにくればよかったのに、序列の関係で、仲間のうち一番の若手が(パトリシアの顔を知らないのに)「御者」に選ばれたという。
ともあれ、結果的には、白い羽根帽子の連中の身柄を確保できたことにもなるわけで、しかも「未成年者誘拐」という立派な罪状もできた。さあ、どうしてくれようか……
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わたしは、パークを始めとする白い羽根帽子の面々を見回した。仮にブライアン候補者の第2秘書グループ筆頭、サイモン・パークが未成年者誘拐の現行犯で捕まったという事実が公になれば、選挙への影響は避けられないだろう。場合によっては、ブライアンに首謀者の疑いをかけて、逮捕することもできるかもしれない。でも、それだけでは、少し面白味に欠けるような気もする。
チラリとパークを見上げると、彼はしきりに口をモゴモゴさせている。
「どうしたの? 言いたいことがあればどうぞ。よほどひどい侮辱でなければ、命まで取りはしないわ」
「どうか、助けて……、見逃していただけないでしょうか」
「あんた、バカじゃない? 成り行きとはいえ、わたしがアイアンホースの味方になってるのは知ってるでしょ。あなたたちをアイアンホースのもとにつき出せば、少なくともあなたたちはブタ箱行きよ。ブライアンも、最低限、監督責任を免れないわ。場合によっては、彼も共犯で逮捕されちゃうかもね」
「あの、ちょっと話をきいてほしいのです。お願いですから、その、つき出す前に……」
パークは情けない声を上げた。でも、そこまで言うなら…… 勝者の余裕というか、気分は悪くない。わたしはプチドラを促し、パークの金縛りを解いてもらった(今更反撃する気にはならないだろう)。
そして(他のメンバーには聞かれないように)、パークを連れて建物を出て、その建物の裏手に周り、
「とりあえず、聞くだけ聞いてあげるわ」
パークは、金縛りが解けたせいか、ホッとした顔で、この町の政治がアイアンホースによっていかに歪められてきたかについて、話し始めた。
アイアンホースは主要ポストをお気に入りの者たちで固め、不正蓄財に励み、市民生活の隅々まで統制を加え、云々と(でも、わたしにとっては、どうでもいいことだが)……
しかも、大学の運営にまで介入し、なんの罪もない自分を大学から追放し(「なんの罪もない」かどうかは微妙だと思う)、のみならず、自分とパトリシアの愛を引き裂くという極悪非道な(話が飛躍し過ぎではないか?)……
「結論的には、あなた、パトリシアと一緒になりたいだけじゃないの?」
「いや、けっしてそういうわけでは…… 純粋な義憤から出た行動なのですが」
そうは言いながら、パークはなんだか自身なさげ。そうであれば……
「例えばの話だけど、あなたとパトリシアの『ムフフの仲』をアイアンホースから公認してもらえると仮定するならば、あなたはブライアンを裏切ることができるかしら?」
「ブライアンを裏切る? そんな、信義にもとるようなことは、いくらなんでも……」
「それは残念ね。ブライアンに『稀代の女嫌い』以上の致命的なスキャンダルがあれば、選挙はアイアンホースの勝ちよ。わたしなら、彼にとりなして、あなたとパトリシアの仲を認めるよう説得できるわ」
「ええっ、それは、本当ですか!?」
パークの目がキラリと輝いた。
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パークは、しばらくの間、下を向いて考えていたが、
「あの、本当に、アイアンホースを説得して下さるのですね」
「本当よ。あなたも知ってると思うけど、今回の選挙はアイアンホースが負けそうな展開でしょ。だから、選挙に勝てるのであれば、そのくらいの願いは聞き届けてくれるはずよ」
パークは「おお!」と力のこもった声を上げた。なお、アイアンホースが本当に「そのくらいの願いは聞き届けてくれる」という保障はどこにもない。後になって「そんな約束は知らん」と、利用されるだけで終わりそうな気がするが、わたしには不利益も被害もない。「恋は盲目」とも言う。パークには、最後に泣いてもらおう。
ただ、彼が今まで仕えていたブライアンを簡単に裏切れるものかどうか、ちょっぴり疑問もある。その点については、
「問題ありません。パトリシアのためです。私がブライアンのもとにいる理由はアイアンホースに嫌がらせをしてやろうと思ったからで、ブライアン個人に対して忠誠心はなく、何よりもパトリシアのことが最優先ですから」
なんとも、分かりやすい理屈だこと。
肝心の「致命的なスキャンダル」については、
「実は、ブライアンは『稀代の女嫌い』であるだけではなく、『ほとんど尋常では有り得ない男好き』なのです」
「男好きなら、早い話がゲイでしょ。有り得ない話じゃないと思うけど……」
「いえ、程度が、その……、とてもこの世のものとは思えないと言いますか…… とにかくすごい、ものすごいのです」
話によると…… いや、やめておこう。わたしには、彼の発言を的確にまとめる自信がない。そこで、彼の言葉をそのまま(ただし、一部は伏せ字にして)掲載すると、
「実は、ブライアンはウケ専門で、特に、ゴリラのようにたくましい男の巨大な△△△により、肛門を激しく×××されることに無上の喜びを感じるのです。しかも×××の前には、必ずと言っていいほど、巨大注射器による浣腸プレイを楽しみ、汚物を辺りにぶち撒きます。『ウォッ、ウォッ、ウォッ』と、まるでイボイノシシのような声を上げながら、その行為に及ぶ光景は、身の毛もよだつほどで……」
彼の話は、とても聞くに堪えられるものではなかったが、とにかく、ブライアンがとんでもない男ということだけは、分かった。
パークは心細そうな顔でわたしを見つめ、
「このようなことでよろしいのでしょうか。これは、その……、我々秘書の間だけの、絶対に外に出してはならない秘密なのですが……」
それはそうだろう。少数者の人権の問題はあるが、一般常識あるいは社会通念上は、公になったら非常にマズイと思う。わたしは、「アイアンホースにはよく言っておくから」と、パークを帰し、残りの白い羽根帽子の連中も(金縛りも解いて)放免した。
プチドラは、わたしを見上げ、
「せっかく犯罪の証拠をつかんだのに、いいの?」
「いいのよ。とりあえず、ゴリラのようにたくましい男には、心当たりがないこともないから」
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プチドラは、一瞬、「???」と首をひねったが、すぐに、
「マスター、もしかして、その『心当たり』というのは、あの人?」
「ええ、条件に合う人といえば、あの人以外いないでしょう」
その人、すなわち、ゴリラのようにたくましい男とは、もちろん、ツンドラ候。彼の巨体から繰り出される×××にかかれば、ブライアンはイチコロだろう。その行為の最中の、とっても恥ずかしい場面を市民の目にさらせば、ブライアンの評判はガタ落ち、選挙はアイアンホースが逆転勝利を収めるはず。ただ、ツンドラ候にそういった趣味があるかどうかは分からない。でも、なんとかなる、いや、なんとかせねば……
「プチドラ、突然だけど、帝都に戻るわ」
「えっ!? いいけど、随分と急だね。アイアンホースには言わなくていいの?」
「投票日まで時間がないし、それに、言っても意味がないわ。プチドラ、すぐに隻眼の黒龍の姿に戻ってくれない?」
プチドラは、体を象のように大きく膨らませ、巨大なコウモリの翼を左右に広げた。左目が爛々と輝く。久々の隻眼の黒龍モード。
わたしはヨイショとその背中によじ登り、
「それじゃ、帝都に戻りましょう。全速力。でも、わたしを振り落とさないようにね」
隻眼の黒龍はフワリと宙に舞った。投票日までは、あと2週間程度。帝都までの往復の日数その他を考えれば、一分一秒でも惜しい(なお、貴重品(伝説のエルブンボウ)だけは、常に袋に詰めて持ち歩いていたので、宿所のホテルに取りに戻る必要はない)。ドラゴンを見た市民が驚いて騒ぎ出したら……、多分、アイアンホースがなんとかするだろう(という希望的観測)。
隻眼の黒龍は、巨大なコウモリの翼で町に大きな影を落としながら、上空を飛んだ。でも、もともと市民があまり出歩いていなかったせいか、思いのほか、大した騒ぎにはならなかった。市街地を取り囲む城壁のところでは、このような場合のマニュアル化された対応だろう、守備隊から矢を射かけられたが、隻眼の黒龍のささやかな火炎攻撃により完全に沈黙した。
バイソン市を出ると、大河に沿って、(地上からは、小さな黒い固まりにしか見えないくらいに)適当に高度を保ちながら、「五色の牛」同盟を構成するオックス、カーフの上空を通過。そして、数日後には、大河の畔に広がる帝都の町並みが目に入ってきた。
隻眼の黒龍は徐々に高度を下げ、帝都の一等地にある屋敷の中庭に降り立った。玄関からは、駐在武官として派遣された親衛隊員が次々に飛び出し、一列に整列。そのうちの一人が、一歩、前に出て、
「お帰りなさいませ、カトリーナ様!」
「ただいま……って、え~っと、ごめんね、名前は……」
「ジュリアン・レイ・パターソンです。御用は首尾よくいきましたか?」
久々の登場で忘れていたけど、ブロンドの髪と青い瞳がチャーミングな駐在武官リーダー、パターソンだった。
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わたしが隻眼の黒龍の背中から降りると、パターソンはおもむろにわたしに近づき、
「カトリーナ様、お疲れでしょう。とりあえずは屋敷の中へ」
「ありがとう。でも、ゆっくりしているヒマはないのよ。ツンドラ候を捕まえないと」
「ツンドラ候ですか、あの人は……、ははは……」
パターソンからは失笑が漏れた。他の駐在武官も皆、口元を抑えている。話によれば、ツンドラ候は、毎日のように疲れた顔で、「ウェルシー伯は、まだ戻らないのか」と、やって来るとのこと(次期皇帝選出委員会の委員に選ばれ、大変な毎日を送っているらしい)。でも、それなら好都合、こちらから捜す手間が省けた。ツンドラ候のことだから、「たまには仕事をサボって史上最凶最悪のゲテモンを食べに行こう」と誘えば、喜んで乗ってくるだろう。連れ出すのは簡単。問題は、ツンドラ候が男色に興味があるかどうか。常識的に考えれば、興味を示すとは考えにくい。だとすれば、ないものを生じさせなければならないが、それは、通常の方法では不可能で……
うつむいて、じっと考えていると、パターソンは不思議そうにわたしの顔を覗き込み、
「カトリーナ様、何か、お考えでしょうか」
「なんでもないわ」
わたしは、子犬サイズに体を縮めたプチドラを抱き上げ、パターソンに先導されて屋敷に入った。そして、部屋に荷物を置き、とりあえず応接間で一服。パターソンたちが通常業務に戻り部屋に誰もいなくなると、プチドラを抱き、こっそりと「開かずの間」を通って地下室に。
地下室では、例によって、ガイウスとクラウディアが紅茶を飲みながら談笑していた。一応、「すべてのエルフの母」の奪還を目指す秘密結社のはずだけど、のんびりとしたところはエルフの性分だろう。
クラウディアは、わたしの姿を認めると、椅子から立ち上がり、
「まあ、カトリーナさん! 今まで、どこに? 急に姿が見えなくなったから、心配で心配で!」
と、わたしに抱きつき、声を上げて泣き出した(クラウディアたちには、留守にすると言ってなかったっけ……)。
「ごめんね。すぐに済むと思った用がなかなか済まなくて…… 実は、その用もまだ片付いてないの」
「『用』というと……、難しい話しかね? 我々にできることなら手伝うよ」
ガイウスが言った。こういう人が好いところもエルフの特徴だ。本来なら、あまり借りを作りたくないところだけど、今回ばかりは仕方がない。
「実はね、なんというか…… 非常に言いにくいんだけど、要するに、超強力な媚薬みたいな……、その気がなくても関係なしみたいなのは、ないかしら」
わたしは要点をかいつまんで説明した。男に全然興味がない男でさえその気にさせて、男の○○○に自分の△△△を×××してしまう(直接口に出すのがはばかられたので)くらいに強力な、媚薬とか魔法はないかと。しかし、これには、さすがのガイウスもクラウディアも唖然として、本当に、目が点に……
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ガイウスは、「ゴホン」とひとつ咳払いをして、呼吸を整えてから、
「え~と、早い話が、つまり、その、ノーマルな男をアブノーマルな男にしてしまうということかね?」
「ぶっちゃけた話をすれば、そうなるわ。できるかしら?」
「どうだろうね。難しいと思うよ。いくら魔法でも、『なんでもあり』というほどに便利なものではないからなあ……」
ガイウスは腕を組み、考え込んだ。わたしとしても、かなり無理気味ということは分かっている。いわゆる魔法少女ものでは、「魔法は万能ではない」というテーゼにより、その世界(又はゲーム)のバランスを根底から覆しかねない魔法の使用は制限されるのが「お約束」。ノーマルな男をアブノーマルな男にすることも、それに含まれるのだろう。
「あの~、どうしても、ノーマルをアブノーマルにしなければならないのでしょうか?」
ティーカップを置き、クラウディアが言った。
「ツンドラ候が自分の△△△をブライアンの○○○に激しく×××しているところを、市民の目にさらさなければならないの。二人羽織みたいなことはできないだろうから……」
すると、クラウディアはクククといたずらっぽく笑い、
「そのツンドラ候に普通に女性への興味があれば、通常の媚薬と幻術で、なんとかなるかもしれないわ」
クラウディアの説明によれば、媚薬によってツンドラ候を発情させ、幻術によって美しい女性の幻影をブライアンと重ね合わせれば、ツンドラ候はブライアンの○○○を女性の☆☆☆と思いこみ、激しく×××するかもしれないとのこと。なるほど、確かにその方法なら、ノーマルをアブノーマルに変換する必要はない。
ガイウスは、ポンと手を叩き、
「そうだな、それならうまくいくだろうな。媚薬なら強力なものが市販されているし、仲間のうちに幻術が得意な者もいる。ちなみに、幻術は、相手が単純なほどかかりやすい」
「だったら、問題ないわ」
多分、ツンドラ候以上に単純な人は、この世に存在しない。プチドラもウンウンとうなずいた。
わたしたちは、その具体的な方法について、打合せを行った。どうすれば、より効果的に恥ずかしい姿を市民にさらし、ブライアンの変態ぶりを示すことができるか。
議論の詳細は省略することにして、結論としては、バイソン市の公園に市民を集め、そこで、恥ずかしい行為をしてもらうことになった。公園には、オシャレでカラフルな魔法(幻影)のプレハブ小屋を建ててもらい、ツンドラ候には、その中で安心して×××してもらおう。一番恥ずかしいところでプレハブ小屋が消え、市民はブライアンのお下劣な姿を目撃することになるだろう。
ツンドラ候を連れ出すのは難しくなく、問題はブライアンだけど、ここは、パークに頑張ってもらおう。また、市民を集めるためにはアイアンホースの協力が必要だけど、「落選するぞ」と脅せば、背に腹は代えられないということで、話に乗ってくるだろう。
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その翌日(の午後)、
「カトリーナ様、ただいま戻りました。値は張りましたが、どうにか手に入れました」
買い物から戻ったパターソンが言った。目当ては、もちろん、強力な媚薬。ガイウスやクラウディアに世話になってばかりはいられないので、今朝からパターソンに買いに行かせたものだ。
パターソンは、ふところに手を突っ込んで、怪しげな液体の入った小ビンを取り出し、
「これです。商品名『ムッフッフ』、現在市販されている媚薬の中では、最も強力と言われています。余りにも効果が強すぎるので、劇物に指定され、現在では、一応、製造中止となっています」
「へえ、そうなの。でも、そんな、製造中止になるようなもの、よく手に入ったわね。」
「ええ、正規のルートでは、入手不可能です。なので、裏のルートで、その分、かなり割高です」
パターソンが示した請求書を見てビックリ、これだけのお金があれば、帝都で立派な家が建つのではないか。ただ、それだけに、効果は絶大。経口投与により体内に取り込まれれば、神経系に作用し、性欲が異常に増進、見境なく襲いかかるらしい(ただし、ノーマルな人をアブノーマルにするまでの効果は期待できないとのこと)。
薬を持って「開かずの間」を通り、地下室に行ってみると、ガイウス、クラウディアを始め、ダーク・エルフたちが、バタバタとあわただしく歩き回り、準備をしている最中だった。
クラウディアは、わたしの姿を認めると、作業を中断し、
「まあ、カトリーナさん!」
と、わたしのもとに駆け寄りって手を握った。
ガイウスは、作業を続けながら、
「もうすぐ準備完了だよ。モンスターでも破れないような、頑丈な檻を用意した」
この檻に入るのは、もちろん、ツンドラ候。とりあえず適当に檻に押し込もう。そのままにしておいても(つまり、エサをやらなくても)、少しの間なら、大丈夫だろう。
そして、この日の夕方、応接間でくつろいでいると、
「うぉ~い、俺様だ! 今日もまた、来てやったぞぉーーー!!」
にわかに玄関先が騒がしくなった。誰かは言うまでもないだろう。
パターソンはニヤリとして、
「ようやく、おいでになったようですね」
わたしは、右手にプチドラを抱き、左手に伝説のエルブンボウと媚薬「ムッフッフ」の入った風呂敷包を持って、立ち上がった。
パターソンも同様にソファから立ち上がり、ひと言、
「成功をお祈りしています」
これからの段取りとしては、わたしが応対に出て、「再会を祝して」及び「これまでの音信不通のお詫び」という名目で、ツンドラ候をゲテモン屋に誘うことになっている。その途中で賊(つまり、ダーク・エルフ)に誘拐されるという、ありきたりの展開。通常の判断力があれば、不自然なことに気付くかもしれない。でも、ツンドラ候だから……
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玄関先では、ドンドラ侯がドンドンと突き破らんばかりの勢いでドアをたたいていた。
わたしは自らドアを開け、
「あらあら、どなたかと思いましたら、あなたでしたか、ツンドラ候」
「おお、ウェルシー伯ではないか! 戻ってたなら声をかけてくれよ、水くさいぜ!!」
ツンドラ候は巨体を揺らし、雄叫びを上げながら、文字どおり、狂喜乱舞。
わたしは内心ニヤリとしながら、
「いろいろと事情がありまして、なかなかお会いする機会がありませんでした。そのお詫びではないのですが、これからゲテモン屋などいかがでしょうか。再会を祝して、ということで」
「そうか、そういうことなら喜んで! うぉー、ゲテモンが俺様を呼んでるぜ!!」
ツンドラ候は拳を天に突き上げた。本当に分かりやすい人だ。わたしは、ツンドラ候に促され、プチドラを抱き、貴重品等(伝説のエルブンボウと媚薬「ムッフッフ」)の入った風呂敷包みを持って、(ツンドラ候の乗ってきた)馬車に乗った。
ところが……、進んでいく馬車の中で、
「ちょっと待ったー! そんな話は、認められな~い!!」
と、ツンドラ候の臣下で秘書的役割でもあるニューバーグ男爵が、大声を上げた。
「まあ、そう言うなよ。たまにはいいじゃないか。ウェルシー伯と、こうして会って話ができることも、滅多にないんだ」
「いえ、いけません。絶対にダメ。明日は重要な会議があるのですよ。ゲテモン屋に行ってる場合じゃない」
ツンドラ候は、少ないボキャブラリーを駆使して懸命に説得に当たったが、ニューバーグ男爵は頑として聞かない。横で見ていると、おねだりする子供と母親のような印象。ニューバーグ男爵のことは、すっかり忘れていたけど、彼がいても計画に支障はない(と思う)。ガイウスやクラウディアたちが、うまくやってくれるだろう。
ヒヒィ~~ン!!!
突然、馬のいななく声が聞こえ、馬車はガクンと急停止。どうやら、始まったようだ。
ニューバーグ男爵は「一体、なんなんだ」と窓から顔を出し、辺りを見回した。そして、次の瞬間には、ギョッとして首を引っ込め、
「たっ、大変です! 馬車は、何者かに取り囲まれています!!」
「取り囲まれてるって……、だからどうだというんだ? その程度のことで、うろたえるんじゃない」
さすがはツンドラ候、肝が据わっている。でも、ダーク・エルフが相手では、勝手が違うだろう。すぐに馬車のドアが開けられ、灰色のフード付きローブに身を包んだダーク・エルフが、ツンドラ候とニューバーグ男爵を、抵抗のいとまさえ与えず、魔法で眠らせてしまった。御者と馬は既に殺害されている。
その(侵入してきた)ダーク・エルフは、フードを取り、ニッコリとVサイン。
「うまくいきました。あとは、このゴリラ、いえ、失礼、ツンドラ候を運ぶだけです」
と、ひと仕事を終えて額の汗をぬぐうクラウディアだった。
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灰色のフード付きローブに身を包んだダーク・エルフたちは、総勢10人程度。慣れているのだろう、動きは素早かった。巧みに馬車のドアを取り外してツンドラ候を外に運び出し、大きな檻に運び込んだ。
ガイウスはフードを外し、檻に鍵をかけ、
「あとは、このゴリラをバイソンの町まで運び込むだけだね」
と、右腕を上げて合図を送った。すると、数人のダーク・エルフが各々の得物にまたがって垂直上昇。その得物からは鎖が伸びていて、鎖の先端に鉤がついている。鉤は檻に引っかけられていて、そのため檻もゆっくりと宙に浮いた。
ガイウスは、何やら意味ありげに、ニヤリとして、
「ついでだから、我々が運んでいこう。ドラゴンのスピードには及ばないが、バイソン市までは5日程度かな。大丈夫だよ。それに、万が一、このゴリラがケガをするとしても、タンコブができる程度だから」
「期限内に、無事、バイソン市まで送り届けてくれるなら、お願いするわ」
投票日まで間に合うなら、わたしとしては大助かりだけど……
ただ、運んでいく間に、ツンドラ候はどんな目に遭わされるのだろうか。気にならないことはないが、「タンコブができる程度」ということだし、常人離れして頑健なツンドラ侯のことだから、問題ないだろう。
「それじゃ、我々は、先に行くよ」
「カトリーナさんも、どうか、お気をつけて」
ガイウスとクラウディアは腕を組み、その場からスッと消えた。ガイウスお得意のテレポートだろう。他のダーク・エルフたちも、ある者は空を飛び、別の者はテレポートで、全員、その場から姿を消している。
「それじゃ、ボクたちも行こうか」
プチドラは、体を象のように大きく膨らませ、巨大なコウモリの翼を左右に広げた。左目が爛々と輝く。
わたしは、伝説のエルブンボウと媚薬「ムッフッフ」の入った風呂敷包みを持って、隻眼の黒龍の背中によじ登り、
「行きましょう。いつまでも、こんなところでグズグズしていられないわ」
隻眼の黒龍は、巨大なコウモリの翼をさらに大きく広げ、空中に舞い上がった。とりあえず、帝都を早く離れよう。わたしが犯人の一味だという証拠は残していないはず。後から何か聞かれても、適当に言い抜けることにしよう。怪しまれるだろうが、少なくとも、後ろに手が回ることはないと思う。
隻眼の黒龍は、大河に沿って、「五色の牛」同盟を構成するカーフ、オックスの上空を通過、3日ほどでバイソン市に到着した。市庁舎の最上階では、なぜかアイアンホース市長が泣きそうな顔でわたしを待っていて、
「伯爵様~!!!」
いきなり腕をいっぱいに広げて抱きついてきた。わたしがとっさに身をかわすと、アイアンホースは壁に激突して鼻血を流した。何があったのか、大体、想像はつくが……
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アイアンホースは「アイタタタ」と顔を押さえ、
「伯爵様、大変なことになりました。パトリシアが、パトリシアがぁー!」
予想していたけど、やっぱり、そういうことなのね。話によれば、パトリシアが、この前(の食事の時)に大暴れしてから、口を一切きいてくれないとのこと。手違いで計画が狂い、きっと、今も市長公邸から逃げ出せずにいるのだ。その怒りが治まらないのだろう。でも、投票日までは、あと一週間くらいのはず。パトリシアに構っている余裕はないはずだけど、この人は、一体、何を考えてるんだか……
「アイアンホース市長、実は、妙案があるのですが」
「妙案というと、パトリシアとすぐに仲直りできるような、ステキにすばらしい方法なのですか?」
「いえ、そうではなく、選挙の話です。ブライアン氏を再起不能にできそうなスキャンダルです」
「ああ、選挙か。そうだな、確か、お願いしていたっけ」
アイアンホースはガッカリしたように言った。本当に、当事者意識があるのかしら、この人……
「投票日前日に、この町の公園、最初に通りがかったとき、白い羽根帽子の一団がアジテーションしていたところですが、そこに、できるだけ多くの市民を集めてほしいのです。」
「市民を集めて、どうしようというのかね?」
「ブライアン氏の、とっても恥ずかしい姿をさらすのです。彼は、きっと、外を歩けなくなりますよ」
「ふ~ん…… でも、市民を集めると言ってもなぁ……、法的根拠がなぁ……」
「大規模な災害が発生したということで、公園への避難命令を出しましょう。命令違反は、当然、死刑です。後から誤報だったということにして……とにかく、なんでもいいから、市民を公園に集めることです」
アイアンホースは「う~ん」とか「ああ~」とか言葉を濁し、なんとなく気分が乗らない様子。しかし、(途中の経緯は省略するが)無理矢理ねじ込んで、結論的には、投票日前日に避難命令を発令してもらうことになった。
その後、わたしはすぐに馬車を用意してもらい、市庁舎を出た。行き先は、もちろん、ブライアンの事務所。投票日前日にブライアンを公園まで連れてくる役目は、パークに引き受けてもらおう。この日、ブライアンは、ご都合主義的に遊説に出ていて、事務所にいなかった。パークはわたしを応接室に通すと、
「あの、アイアンホース市長の説得は、うまくいきましたでしょうか」
「ええ、バッチリよ。市長は大喜びしてたわ(ウソ)。『今回の選挙で当選できるなら、パトリシアはくれてやる。ついでに、後継者はパークだ』と言ってたわ(大ウソ)」
「そ、それは、本当ですか!!!(だから、ウソだって(以上、カッコ内は、わたしの内心の声))」
パークは大喜びし、本当の意味で自発的に、ブライアンを投票日前日に公園まで連れてくることを約束した。ちなみに、殺し文句は、「史上最大の△△△で○○○を激しく×××されますから、これまでにない最高の気分を味わえますよ」とのこと。
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そして……、とうとう計画実行の日を迎えた(この日までの途中経過は省略しよう)。公園の片隅には、こっそりと、大きな檻が運び込まれ、その中には、傷だらけ、タンコブだらけになったツンドラ候が、猿ぐつわと目隠しと(後ろ手に)手錠をされ、押し込まれていた。一体、どんな目に遭わされたのやら。ガイウスに聞いてもクラウディアに聞いても、「ちょっとね……」という答えが返ってくるだけで、具体的な話は教えてくれない。ただ、鉄格子の隙間から棒で突っつくと、体を激しく揺すぶって暴れるので、大したダメージを負っていないことは、間違いない。
やがて、日は西に傾き、辺りは薄暗くなってきた。夜間外出許可制度のせいか、この時間でも、人通りはなくなっている。公園の噴水のそばでは、ダーク・エルフが数人集まっていた。
「これくらい大がかりな魔法は久しぶりだということで、仲間も、結構、張り切ってます」
クラウディアによると、これは、幻影のプレハブ小屋を出現させるための魔法とのこと。しかも、これは単なる「幻影」ではなく、あまねく五感に作用することにより、まるで本当にその場にプレハブ小屋があるような感覚(錯覚)にとらわれるとか。しばらくすると呪文の詠唱が終わり、噴水の脇の何もないところから、にわかに、お菓子の家のようにオシャレな小屋が出現した。
ガイウスは、それを眺めながら、ウンウンとうなずき、
「さすが、幻術のエキスパート。知らされなければ、私でも気が付かないだろうね」
そして、わたしの肩をポンとたたき、
「よくできているだろう。この機会だから、中をのぞいてみないか?」
わたしはガイウスに促され、小屋の入り口のドアに手をかけた。不思議なことに、見た目だけではなく、手触りなども、本物のドアと全然変わりがない。さらに、中に入ってみて、ビックリ、小屋の中は、昼間のように暖かな太陽の光で満ち、オシャレな家具や調度が並べられていた。とても幻影とは思えないが……
「驚いたかい。感触や質感も本物に近づけてあるんだ。その分、魔法のレベルも高いけどね。だから、仲間のうちで幻術のエキスパートを連れてきたのさ。でも、驚くのは、まだ早いよ」
ガイウスは右手を上げ、合図を送った。すると、あ~ら、不思議、確かに存在したはずのオシャレな小屋は一瞬にして消失し、目の前には、普段の公園の風景が広がっていた。
「そういえば、ゴリラに媚薬を飲まさなければならなかったんだっけ?」
ガイウスが言った。すると、クラウディアが、横から割り込むように、
「その役目なら、ぜひ、わたしに。ゴリラを誘惑するなんて、初めてだわ」
いつになく積極的な態度だ。ちょっぴり変な感じ。それに、そもそもこの作戦がうまくいっても、得をするのはわたしで、ダーク・エルフにとってはタダ働きではないか。
しかし、クラウディアは本当に楽しそうに笑い、
「こういう誰が見てもナンセンスな悪戯は、大好きなの。わたしたちの特徴かしら」
ガイウスもうなずき、同意した。エルフとは、面白ければなんでもあり、という種族でもあるらしい。
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日が暮れて、辺りはすっかり暗くなった。公園には、再び、幻影の、ただし質感や量感まで本物ソックリのオシャレな小屋が現れ、猿ぐつわと目隠しと(後ろ手に)手錠をされたゴリラ……ではなくツンドラ候が、その小屋の中に運び込まれた。
クラウディアは、わたしから媚薬「ムッフッフ」を受け取ると、ククク笑い、
「ゴリラなら、幻術も効きやすいでしょう。カトリーナさんは、外で、しばらく待っていてください。魔法をかけた後、わたしもすぐに出てきますから」
段取りとしては、クラウディアが、まず、ツンドラ候の口に媚薬を流し込んで「その気」にさせ、次に、ブライアンが小屋の中に入ると、ツンドラ候にはブライアンが美しい女性に見えるように(ついでに言えば、ブライアンの○○○が、女性の☆☆☆に見えるように!)魔法をかけ、最後にツンドラ候の猿ぐつわと目隠しと手錠を外して出てくるという、至極簡単なもの。避難命令を受けて人々が集まってきたところで、オシャレな小屋がスッと消失すれば、ブライアンのとっても恥ずかしい姿が人々の目にさらされることになる。
しばらくすると、黒いフード付きローブに身を包んだ2人組が、怪しさ丸出しで公園にやって来た。ブライアンとパークだろう。2人はキョロキョロと周囲を見回し、幻影のオシャレな小屋を指さし、お互いにうなずき合った。
「では、私は用を済ませてくるからな。え~と……、大丈夫なんだろうな。本当に、絶対だな」
「ご心配なく。絶対安全ですので、心配は要りません。心ゆくまで楽しんでほしいという支持者の心づくしでございます」
ブライアンであろう、ひとりが小屋のドアを開け、その中に入っていった。もうひとりは、「大役を果たした」とばかりにホッと胸をなぜおろし、そそくさと引き揚げていった。
そして……、
「さあ、お楽しみは、これからですよ」
いつの間に戻ったのか、クラウディアが、わたしの傍らで口に手を当ててニヤニヤしている。
「うまくいきました。今頃、あのゴリラは、自分の目の前にいる人をカトリーナさんと思いこんで……、そして、あんなことや、こんなことや……、それに、とても口では言えないことまで……」
「えっ!?」
一瞬、背筋に寒気が…… なんというか、なんとも言えないけど……、まあ、いいか。
そのうちに、小屋の中から、「ウォッ!」とか、「ンガッ!」とか、声が漏れ出してきた。中ではどんなことが行われているのだろう。あまり想像したくはないが……
町の人たちも、1人、2人と、少しずつ公園に集まってきた。避難命令の効果だろう。ただし、誰もが皆、一様に、合点がいかなさそうに首をかしげている。それはそうだろう。今は災害なんか発生していないんだから。
「これだけ暗いと見にくいな」
ガイウスはニヤリとして呪文を唱え、数個の光の球をオシャレな小屋の周囲に飛ばした。これで、小屋が消失すればブライアンの恥ずかしい姿は丸見え。(彼にとっての)破滅へのカウントダウンが始まった。
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公園では、時間が経つにつれ、何十人、何百人と、人々の数は増えていった(今まで、あまり人々の姿を見かけなかったけど、一体どこに隠れていたのだろう)。ただし、誰一人として、納得した顔でやって来る者はいない。
集まった人々は、光の球に照らし出されたオシャレな小屋を見せつけられ、「これは、なんなんだ?」とばかりに、いぶかしげに顔を見合わせている。
のみならず……
ウォッ! ウォッ!
ンガッ! ンガッ!
そのオシャレな小屋からは、獣と獣が格闘するような不気味な声が漏れ出し、辺りに響いていたのだった。
ガイウスは、公園の片隅でこの様子を眺めながら、
「フフフ、面白くなってきたな。でも、まだまだ、これから……」
笑いをこらえているのか(笑いは後のお楽しみに取っておくのだろうか)、顔の筋肉がピクピクと動いている。
獣のような声は、さらに高くなり、
ウォッ! ウォッ! ウォッ!
ンガッ! ンガッ! ンガッ!
「まるでゴリラとイボイノシシが交尾してるみたいね」
クラウディアは口に手を当て、その口からは、クククと失笑が漏れた。
集まった人たちは、「一体、これは、何事か」と、口々に喋り始めた。公園に突如現れたオシャレな小屋や、小屋の周囲に輝く光の球や、小屋から聞こえる恐ろしげな声の正体は、なんなのか、また、避難命令が出ている割に災害みたいな感じがしないのはなぜか、等々。
そして、その間にも、
ウォッ! ウォッ! ウォッ! グォッ!! グォッ!!!
ンガッ! ンガッ! ンガッ! ンギャッ!! ンギャッ!!!
獣のような声は益々高まり、公園中に響いている。人々の表情には、徐々に、不安の色が現れてきた。この小屋の中にいるのが本当に猛獣なら、そして、その猛獣が小屋から出て暴れ出したら、どういうことになろうか。公園を離れたいのはやまやまだが、その場合は、市長からどんなお咎めがあるか知れない、みたいな。
「さあ、そろそろ頃合いのようだな」
ガイウスは、右手を挙げ、合図を送った。
すると、オシャレな小屋は音もなく消失し、その場に現れたのは……
恍惚とした表情を浮かべ、「グホォッ!!!」とか、「ギェェッ!!!」とか、獣とも魔物ともつかない雄叫びを上げるツンドラ候とブライアンだった。
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公園に集まってきた人々は、いきなり信じがたい光景を見せつけられ、瞬間、その場で凍り付いた。
グホォ! グホォ!! グホォー!!!
ギェェ! ギェェ!! ギェェー!!!
ツンドラ候は、背後から渾身の力を込め、自らの△△△をブライアンの○○○に…… いや、これ以上は止めておこう。とにかく、このゴリラとイボイノシシ……ではなく、ツンドラ候とブライアンの×××の様子は、とても言葉で表現できるような(ある意味、やおい的世界観に見られるような、ほのぼのとした)ものではなかった。
しかも、この2匹の野獣……ではなく、このふたりは、多くの市民から丸見えになっていることには気付かず、一心不乱に×××を続けている。
やがて、人々はショックから我に返り、
「あっ、あれは、なんだぁ!」
「ちょっと、男同士で、不潔よ! あの人たち、誰なの?!」
「あの小さい方は、見覚えがあるぞ! ブライアンだ!! 市長選の候補者だ!!!」
等々と、ツンドラ候とブライアンを指さし、口々に声を上げた。「ブライアンが恥ずかしいことを」という話は、迅速に(まるでドミノを倒すように)、少々遅れて公園に集まってきた人々にも伝わり、あちこちから、笑い声や悲鳴や怒号が漏れた。
ブライアンは、ここに至ってようやく気付いたのか、目を大きく見開いて周囲を見回している。でも、既に手遅れで、自らの恥ずかしい姿は、バイソン市の市民の目にしっかりと焼き付いていた。
「ちっ、違う! これは、何かの間違い!!」
ブライアンは、×××されながら、泣きそうな声を上げた。でも、今更、何を言っても無駄。彼の評判はガタ落ちで、おそらく、政治生命も完全に絶たれるだろう。
ところが、ツンドラ候……いや、ゴリラ……ではなく、やっぱりツンドラ候は、
グホォ! グホォ! ゲホォー! ゲボォォー!! ゲボォォォーー!!!
周囲が見えていないのか、事態を理解できないのか、さらに激しく×××を……
とりあえず、お下劣な話は、以上にしよう。これだけ破廉恥ぶりをさらせば、今回の選挙はアイアンホースの勝利だろう。これも、ダーク・エルフたちが手伝ってくれたおかげ。お礼を言おうと思って、クラウディアに顔を向けると、彼女は顔面蒼白の状態で口を押さえ、
「始まる前は、馬鹿……、いえ、面白い趣向と思ったのですが…… でも、さすがにこれは……、当初の予想をはるかに超え、なんとも……、オエップ……」
その傍らにいたガイウスも、気持ち悪そうに咳き込んで、
「ひどいね。久々に腹の底から大笑いできるかと思ったが、これは、あまりにも……」
他のダーク・エルフたちも同様に、始まる前とは違って、気分が悪そうにしている。エルフには、生来的に、醜いものへの免疫が備わっていないようだ。
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おぞましい夜が明けた。
昨夜の、わけの分からない狂乱の宴は、バイソン史上最大の汚点として、後世まで語り継がれるだろう。ちなみに、ダーク・エルフたちは、余りにも醜悪な光景を見せつけられ、心に傷を負ったのか、既に、疲れた顔をして帰途についている。
それはさておき、今日は市長選の投票日。市庁舎1階のエントランスには(すなわち、アイアンホースをかたどった巨大かつ醜怪な黄金の像の前には)、宝石や貴金属がちりばめられた投票箱が設置されていた。また、「選挙管理委員」というネームプレートを付けた数人の男たちが、投票箱を前にして、椅子に腰掛けている。不正が行われないように見張っているのだろう、投票用紙を投じようとする者には、一応、住所と氏名を尋ね、手持ちの選挙人名簿でチェックしている。なお、バイソン市では、財産権による制限選挙が採用されているため、選挙人の数は少なく、投票所は市庁舎に設けられた1カ所のみとのこと。
この日の昼前に、プチドラを抱いて市庁舎に出向くと、アイアンホースは、市庁舎の最上階、市長室の中を、落ち着きなく行ったり来たりしていた。
わたしは、とりあえず結果報告ということで、
「アイアンホース市長、昨夜は首尾よくブライアンの恥ずかしい姿を市民にさらすことができました。もはや、彼に投票しようとする人はいないでしょう」
ところが、アイアンホースは「はぁー」と深くため息をつき、
「伯爵様には感謝しております。確かに、おっしゃるとおり、今回の選挙は勝てるかもしれません、いや、きっと勝てると思います。しかし……」
わたしはプチドラと顔を見合わせ、苦笑した。彼の悩みといえば、パトリシアに決まっている。
「実は、パトリシアが…… パトリシアが、一層、つれなくなって……、というか、もう、手が付けられないのです」
思ったとおり、わたしには関係のない話のようだ。とはいえ、わたしがこの町に来たのは(そもそも)商談のためだから、アイアンホースがいつまでもパトリシアのことで頭が一杯では困る。
「アイアンホース市長、パトリシアの機嫌を直す方法がひとつだけありますが、聞きます?」
「えっ、パトリシアの機嫌を? そっ、それは、本当ですか!?」
アイアンホースの顔はパッと明るくなった。
「本当よ。その秘策を教えてあげましょうか。でも、タダじゃないわよ」
ついでだから、情報料を提供してもらおう。わたしは、秘策を教える条件として、今回の商談に係る宝石価格の上積み(10%)を要求した。アイアンホースは、考えるまでもなく、即答でOK。
「昔の家庭教師にサイモン・パークという人がいるでしょう。今はブライアンの秘書をしてるみたいだけど。彼とパトリシアの仲を認めてあげなさいよ。そうすれば、パトリシアは機嫌を直すわよ」
すると、ブヨブヨしたアイアンホースの顔が、みるみる紅潮し、
「なっ、なんですとぉーーー!!!」
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アイアンホースは肥満体を激しく揺らして怒り出した。
「あの家庭教師とパトリシアを? 有り得ないことです、絶対に! 今はブライアンの秘書をしているなんて、だったら、敵同士じゃないですか!!」
「そうよ。でも、パトリシアとパークは、ず~っと前から、『ムフフの仲』だったみたいよ。パークが白い羽根帽子の格好で、公邸まで逢いに来ていたことに、気付かなかった?」
「なんとっ! そっ、そんな、バカな!!」
アイアンホースは色を失った。彼にとって、この話は青天の霹靂のようだ。
「ウソだと思うなら、ジンクや使用人たちにきいてみればいいわ。でも、とりあえず、パトリシアの機嫌を直す方法を教えてあげたのだから、宝石価格の上積みは忘れないでね。これは約束だからね」
わたしは、真っ赤な顔で口をパクパクさせている(言葉は出ない)アイアンホースを尻目に、プチドラを抱いて市長室を出た。
市長選挙の投票は、その日の夕刻に終わり、その後すぐに開票作業が行われた。結果は、言うまでもなく、アイアンホースの圧勝。投票日直前、あんなにおぞましい行為を見せつけられたのだから、「さもありなん」みたいな。ちなみに、ブライアンは、あの行為の後、当局によって拘留されていたが、開票作業終了後、正式に、公然猥褻の疑いで逮捕された(なお、ツンドラ候も同様に拘留され、その拘留は今も続いているらしい)。
次の日、市庁舎に出向いてみると、秘書課ではジンクが頭に包帯を巻き付けてぐったりしていて、そのひとつ上の市長室では、アイアンホースが憤懣やるかたない様子でクルクルと円を描くように歩き回っていた。
「パトリシアが、あんな家庭教師ごときに! そんなことは絶対に、断固として、認められな~い!!」
おそらくアイアンホースは、ジンクや使用人たちを問い詰め、「ムフフの仲」の話を具体的に聞き出したのだ。それで、頭に血が上り、ジンクを(使用人も含めてと思われる)ボコボコにしたのだろう。
「アイアンホース市長、大層ご立腹のようですが、今日は契約書にサインを」
わたしは、宝石の継続的取引契約書を差し出した。価格は、前日の約束に従って、10%増となっている。アイアンホースは、怒りでそれどころではないのか、あまり中身を確認せず、殴り書きのようにサインした。彼に続いてわたしもサインし、ともあれ、これで契約成立。
サインが済むと、アイアンホースはブヨブヨした顔をわたしに近づけ、
「伯爵様、パトリシアの心を、あの家庭教師から取り戻す方法は、ございますでしょうか」
またまたパトリシアの話とは…… 本当に、いい加減にしてほしいものだ。
「人の心まで操ることはできないけど…… パークを住居侵入罪で逮捕すれば、ふたりを会わせないことはできるでしょう」
「おお! なるほど、その手があったか!!」
アイアンホースは大喜びだけど、これ以上ここにいても、ロクなことはないだろう。用も済んだことだし、とりあえず市庁舎を出ることにしよう。
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わたしはプチドラを抱いて、足早に市庁舎を出た。契約書は、お互いに同じものを1通ずつ持っているから、仮に紛争になったとしても(そんなことは有り得ないだろうけど)、安心。あとは、駐在武官(親衛隊)の交代時期に宝石を帝都まで運ばせ、バイソン市の出先機関に納入するだけだ。紆余曲折はあれ、どうにか契約締結にこぎつけた以上、この町に留まっている理由はない。隻眼の黒龍に乗って、退散することにしよう。ここにいても、アイアンホースから馬鹿馬鹿しい頼み事をされるだけだろう。
「それじゃ、そろそろ帝都に戻りましょうか」
すると、プチドラは「えっ!?」という顔でわたしを見上げ、
「このまま帰るの? 積み残しになってる問題が、いくつか残っているような気がするんだけど……」
「積み残しって……、まだ、何か、あったっけ?」
「秘書のパークとの約束とか、ツンドラ候のこととか」
そういえば、パークには、「アイアンホースを説得する」とか大ウソついてたっけ。彼がそれを今も信じてるなら、哀れとしか言いようがない。ツンドラ候も、わけも分からずに捕まって、今も拘留されたままだ。でも、そんなの、わたしの知ったことではない。
「いいのよ。パークにもツンドラ候にも、各自で一層の奮励努力をしてもらいましょう。とにかく今は、一刻も早く、帝都に戻るのよ。さあ、急いで」
プチドラは、体を象のように大きく膨らませ、巨大なコウモリの翼を左右に広げた。左目が爛々と輝く。わたしがその背中によじ登ると、隻眼の黒龍はコウモリの翼をさらに大きく広げ、大空に舞い上がった。
隻眼の黒龍は、バイソン市を出ると、大河に沿って「五色の牛」同盟を構成するオックス、カーフの上空を通過、数日後に帝都に到着した。帝都の一等地にある屋敷の玄関先では、この前と同じように、駐在武官として派遣された親衛隊員が一列に整列し、わたしを出迎えた。
隻眼の黒龍の背中から降り、屋敷に入って応接間で一服していると、駐在武官リーダーのパターソンが難しい顔をしてやって来て、
「御用はお済みでしょうか。実は、カトリーナ様が発たれてから、大変なことになっていまして……」
「そりゃ、ツンドラ候が急にいなくなったんだから、そうなるでしょ。でも、ツンドラ候は、一応、無事よ。バイソン市で拘留されてるけどね。帝都には、まだ、この話は伝わっていない?」
パターソンは首を何度か横に振ると、腰をかがめてわたしの耳元に口を近づけ、
「カトリーナ様とツンドラ候とニューバーグ男爵が乗った馬車から、ニューバーグ男爵を残し、おふたりが行方不明となりましたことから、ある噂が相当の信憑性をもって広がっておりまて……」
「噂くらい、勝手に言わせておけば?」
「いえ、それが……、ツンドラ候とカトリーナ様が駆け落ちしたという話なので、どうしたものかと……」
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その後、どうなったかというと……
「ふわぁ~~~~~」
わたしは、辺境の地、ウェルシーの都、ミーの町の執務室で、椅子にもたれ、大あくび。
「本当に、あのまま終わって、よかったのかな?」
プチドラは、小さな腕を組み、「う~ん」と考え込んでいる。でも、その下半身は、金貨が一杯詰まった袋の中にもぐりこみ、「よかったのかな」と言っている割には、さほど気にかけていない様子。
帝都でパターソンから「ツンドラ候とわたしが駆け落ちしたという噂が流れている」という話を聞かされてから、わたしは、とりあえず領地に戻り、執務室に籠もることにした。帝都にわたしだけが戻って来たことが知れれば、何かと面倒なことになりそうだから。しばらくは、辺境の地に近い田舎町に身を隠すのが賢明だろう。帝都の様子は駐在武官が報告してくれる。そのうち情勢が落ち着いた頃に、(用があれば)帝都に出向けばよい。
「カトリーナ・ママ、ただいま戻りました」
カトリーナ学院の授業が終わったのだろう、アンジェラが執務室に顔を出した。でも、「カトリーナ・ママ」って……
「あのね、アンジェラ……」
そう言いかけると、もう一度、ノックの音がして、執務室のドアが開き、
「カトリーナ・ママ、帝都から便りが届きました。いやぁ~、しかし……」
今度は、猟犬隊隊長アーサー・ドーンが、厳重に封をされた巻物を持って現れた。
「ドーン、あなたでしょ、アンジェラに変なこと教えたのは」
「いえ、けっして、そのようなことは…… え~と、私は、これから所用がございまして、そのため、え~、これにて失礼をと……」
ドーンは巻物を机に置くと、頭をかきながら、そそくさと執務室を出た。本当に、仕方がない男だ。何度注意しても直らないばかりか、アンジェラにまで、誤った知識を吹き込むなんて。
「あ、あの……」
アンジェラは、怖々とわたしを見上げた。
「ああ、ごめん、驚いた? え~っと、あなたはいいのよ。悪いのはドーンだから。宿題を済ませてから、友達と遊んでくればいいわ」
アンジェラはチョコンと頭を下げ、執務室を出た。
「さて、ドーンへのお仕置きは、これから考えるとして……」
わたしは、巻物の封を開けた。帝都からの便りとは、すなわち、駐在武官の定期報告。
プチドラは、金貨の入った袋から抜け出して、わたしの肩に飛び乗り、
「どれどれ、どんなことが書いてあるの?」
「どうかしらね。見てみましょう」
こうして巻物を広げてみると、その内容は……
「なっ! なに、これ!?」
と、思わず大きな声を上げるくらい、衝撃的といえば、衝撃的なものであった。
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小学校お受験を控えたある日の事。私はここが前世に愛読していた少女マンガ『君は僕のdolce』の世界で、私はその中の登場人物になっている事に気が付いた。 私に割り//
主人公テオドールが異母兄弟によって水路に突き落されて目を覚ました時、唐突に前世の記憶が蘇る。しかしその前世の記憶とは日本人、霧島景久の物であり、しかも「テオド//
45歳の冴えないサラリーマンが異世界に転生?! 趣味なし、バツイチ、恋人なしの灰色の人生を送っていた男が、辺境の騎士の家に転生し、その能力をいかんなく発揮し//
ライエル・ウォルトは伯爵家であるウォルト家の嫡子であった。 だが、完璧である妹のセレス・ウォルトとの勝負に負けて廃嫡。完膚なきまでに打ちのめされ、心を折られた状//
オンラインゲームのプレイ中に寝落ちした主人公。 しかし、気付いた時には見知らぬ異世界にゲームキャラの恰好で放り出されていた。装備していた最強クラスの武器防具//
ふと思い立って、数年前にYahooブログ(Меч и Щит Японий)に掲載していたものを、今更ながら、多少の修正を加えて再掲することにしました。 夏休み//
●KADOKAWA/エンターブレイン様より書籍化されました。 異世界のんびり農家【書籍十七巻 2024/06/28 発売予定!】 ●コミックウォーカー様、ド//
神様の手違いで死んでしまった主人公は、異世界で第二の人生をスタートさせる。彼にあるのは神様から底上げしてもらった身体と、異世界でも使用可能にしてもらったスマー//
デスマーチからはじまる異世界狂想曲( web版 )(N9902BN)
2020.3.8 web版完結しました! ◆カドカワBOOKSより、書籍版30巻+EX2巻+特装巻、コミカライズ版17巻+EX巻+デスマ幸腹曲2巻+アンソロジー//
ふと思い立って、数年前にYahooブログ(Меч и Щит Японий)に掲載していたものを、今更ながら、多少の修正を加えて再掲することにしました。 公務員//
ふと思い立って、数年前にYahooブログ(Меч и Щит Японий)に掲載していたものを、今更ながら、この話に関しては大幅な修正を加えて再掲することにし//
パレッティア王国の王女、アニスフィア・ウィン・パレッティアはひょんな事から魔法使いに憧れていた前世の記憶を思い出した。 魔法がある世界に転生したのに魔法が使えな//
ふと思い立って、数年前にYahooブログ(Меч и Щит Японий)に掲載していたものを、今更ながら、多少の修正を加えて再掲することにしました。ご隠居様//
平凡な若手商社員である一宮信吾二十五歳は、明日も仕事だと思いながらベッドに入る。だが、目が覚めるとそこは自宅マンションの寝室ではなくて……。僻地に領地を持つ貧乏//
大陸東部辺境のテルシア家に長年仕えた一人の騎士。老いて衰え、この世を去る日も遠くないと悟った彼は、主家に引退を願い出、財産を返上して旅に出た。珍しい風景と食べ物//
勇者と魔王が争い続ける世界。勇者と魔王の壮絶な魔法は、世界を超えてとある高校の教室で爆発してしまう。その爆発で死んでしまった生徒たちは、異世界で転生することにな//
ふと思い立って、数年前にYahooブログ(Меч и Щит Японий)に掲載していたものを、今更ながら、多少の修正を加えて再掲することにしました。ご隠居様//
ふと思い立って、数年前にYahooブログ(Меч и Щит Японий)に掲載していたものを、今更ながら、多少の修正を加えて再掲することにしました。ご隠居様//
仮想空間に構築された世界の一つ。鑑(かがみ)は、その世界で九賢者という術士の最高位に座していた。 ある日、徹夜の疲れから仮想空間の中で眠ってしまう。そして目を覚//
しばらく不定期連載にします。活動自体は続ける予定です。 洋食のねこや。 オフィス街に程近いちんけな商店街の一角にある、雑居ビルの地下1階。 午前11時から15//
ふと思い立って、数年前にYahooブログ(Меч и Щит Японий)に掲載していたものを、今更ながら、多少の修正を加えて再掲することにしました。ご隠居様//
頭脳明晰、スポーツ万能、何をやらせてもそつなくこなす絶世の美少女は、車の事故であっけなく命を散らしてしまう。 そして前世の記憶を持ちながら、転生した先は剣と魔法//
痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。(N0358DH)
本条楓は、友人である白峯理沙に誘われてVRMMOをプレイすることになる。 ゲームは嫌いでは無いけれど痛いのはちょっと…いや、かなり、かなーり大嫌い。 えっ…防御//
男が主役の悪役令嬢物!? 異世界に転生した「リオン」は、貧乏男爵家の三男坊として前世でプレイさせられた「あの乙女ゲーの世界」で生きることに。 そこは大地が浮か//
ふと思い立って、数年前にYahooブログ(Меч и Щит Японий)に掲載していたものを、今更ながら、多少の修正を加えて再掲することにしました。ご隠居様//
Dジェネシス ダンジョンができて3年(web版)(N7945FN)
地球にダンジョンが生まれて3年。 総合化学メーカーの素材研究部に勤める上司に恵まれない俺は、オリンピックに向けて建設中の現場で、いきなり世界ランク1位に登録され//
☆★☆コミックス「輪環の魔法薬3巻」2024/4/1発売です☆★☆外伝その2:帝都編を連載中☆★☆ エンダルジア王国は、「魔の森」のスタンピードによって滅びた。//
公爵令嬢に転生したものの、記憶を取り戻した時には既にエンディングを迎えてしまっていた…。私は婚約を破棄され、設定通りであれば教会に幽閉コース。私の明るい未来はど//
貧しい領地の貧乏貴族の下に、一人の少年が生まれる。次期領主となるべきその少年の名はペイストリー。類まれな才能を持つペイストリーの前世は、将来を約束された菓子職//
冒険者になりたいと都に出て行った娘がSランクになってた(N5947EG)
駆け出し冒険者の頃に片足を失い、故郷のド田舎に引っ込んで、薬草を集めたり魔獣や野獣を退治したり、畑仕事を手伝ったり、冒険者だか便利屋だか分からないような生活を//
ふと思い立って、数年前にYahooブログ(Меч и Щит Японий)に掲載していたものを、今更ながら、多少の修正を加えて再掲することにしました。ご隠居様//
34歳職歴無し住所不定無職童貞のニートは、ある日家を追い出され、人生を後悔している間にトラックに轢かれて死んでしまう。目覚めた時、彼は赤ん坊になっていた。どうや//